宇宙を旅する音楽家 高橋勇輝

ヨーロッパのプロオケチェロ奏者になった道2

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転校生はガリ勉優等生を演じる

 

北海道のてっぺん稚内でワンパクな小学時代を過ごした私は、親の転勤で苫小牧市に引越し、中学時代に突入します。

 

稚内からすると苫小牧は札幌に近いです。とは言え北海道は思ったより大きいので、車で1時間以上かかります。

 

 

稚内を出発するその日その時間、

小学校の友たちやその親、近所の人たちなどが、私たち家族の家まで見送りに来ました。

 

100人はいかないですが、50人は集まってくれたように思います。今思うとこれは凄いことです。

 

稚内は田舎なので、良い意味で人との距離は近かったです。小学校では同じ学年の子は全員友達として当たり前にお喋りします。もちろん他学年との関わりも多く、他クラスや他学年の教室にも普通に遊びに行っていました。

 

出発のかなり前から人が集まり、別れの挨拶をしたりプレゼントをもらったり、しかしどんなに名残惜しくとも時間は訪れます。

 

後部座席の車窓、手を振るみんなの姿はすぐに見えなくなりました。幼い私はあっけなさを覚えた記憶があります。

 

 

そして何より、心の底から悲しかったです。

別れることの寂しさを知りました。

この人生で初めて知りました。

 

 

なぜかもわからず泣くのはガマンして、とにかく平然を装っていました。でも出発後の車内ではツラくなり過ぎて、涙を我慢して寝たフリをする内に本当に眠りました。

 

何故か自然と平然な姿を見せようとする子供の私ですが、「上手く演じられていたのか?」周囲からはどう見えていたのでしょうか。

 

そうして私は中学生になり、周りの子たちにとっては「稚内から来た子」になります。

 

中学という新たな始まりに、子どもたちは何を覚えるのでしょうか?

 

 

好奇心やワクワク

緊張と不安

恋への憧れ

 

 

色々あると思いますが、私の場合「不安、緊張」しかありませんでした。

 

それは、未知の世界への恐怖です。

 

稚内とは異なる街並み、人々、方言、、、

それら通して私は雰囲気の違いを敏感に感じていました。

 

特に人付き合いの感覚はまるで別。。

 

現在の視点で苫小牧のエネルギーを見てみると、

 

人との繋がりに向き合い受容したい心

積極的な言葉のコミュニティケーション

 

この2つのテーマに特化しているようです。

 

つまり人付き合いが苦手でそれを学びたい!というテーマの人々が導かれる傾向もあります。

 

中学校初日、稚内育ちの私がクラスで違和感しか覚えなかったのは当然でした。

 

明らかに人同士の距離感が遠い。同クラスの友達であっても、とにかく他人。

 

それに加え「稚内から来た人」と呼ばれた私は、黙ってみんなを観察していました。

 

コミュニケーションの仕方が違い過ぎて、雰囲気の違いを感じ過ぎて、、、

 

稚内時代のようにヤンチャにバカ騒ぎできるはずもなく、それどころか「会話の仕方」を完全に見失いました。

 

引きずる別れのツラさを心に秘めた中、そんな状況の教室に通うのは正直つらかったです。

 

大人は急にこんなことを言い始めます。

 

「勉強しなさい。勉強しないと良い高校に行けない。良い大学に行けない。良い就職先がない。だから勉強しなさい。」

 

稚内で何も考えずにワンパクに生きていて、そこから別れを初めて経験し、色々な違いに困惑し、コミュニケーションのやり方も忘れ、そして今度は勉強勉強勉強勉強勉強。。。

 

正直、状況を噛み砕けていませんでした。

 

なんで勉強して、良い就職先に入らなきゃいけないのか?意味はわからないけど、そんなもんなのかぁ。と思うようになりました。

 

大人は世間体を重視する。だから装う。

それは段々と理解しました。

 

 

そうして私は「演じる人」になりました。

 

学校では黙って真面目に授業を受け、

 

友達と話すのは緊張するので、休み時間は教科書を開いて話しかけるなオーラを出し、

 

先生にはニコニコと良い顔をして、

 

遊ぶ時は全力で遊ぶ姿を見せよう!と一歩引いた視点も持ってみんなの遊び方に合わせ、

 

勉強は大嫌いで家でも勉強しませんでしたが、外では寡黙なガリ勉優等生を演じました。

 

稚内では「ゆうき〜遊び行くべ〜!」

苫小牧では「高橋君は100点でしょー」

 

テストの点数を取れたのは、休み時間に教科書を読むふりしたのと、前日に一夜漬けするまで寝かせてもらえなかっただけです。

 

やったか?やらないか?というより、

やらされたか?やらされなかったか?

という違いだと思っていました。

 

 

やっと馴染み始めた苫小牧も1年で去り、札幌に転校しました。

 

私はさらに「演じる人」を固めていきます。私は徹底して演じていた自覚があるので、他人からはそう見えなかったかもしれませんが、毎日がつらかったです。

 

「今自殺してみたら、みんなビックリするかな?悲しませてやりたい。」そんな酷いことも何回も考えましたが、そんな雰囲気すら周囲には見せていなかったと思います。

 

さてこんな中学時代ですが、どんなテーマがあったのでしょうか?

 

1つ目は「感じること」です。

 

悲しみ、ツラさ、不安、緊張、理不尽、意味不明、確かに心はたくさん感じました。そうやって自分というものを一度壊す時期です。山のエネルギーが関わり、自分という山を崩しました。

 

2つ目は「向き合い噛み砕くこと」です。

 

そうした変化を一つ一つ丁寧に感じて、向き合うということですね。こちらも山のエネルギーで、心はガタガタになりながらも、外側は平然と動じない山のような姿を見せる。

 

嫌でもそれらのテーマと向き合わされ、私が見つけた答えの1つが「演じること」です。

 

 

「人の繋がりを温かく感じ、その人に合わせた表情や態度、適切な言葉を使って癒す!」

 

というように、このテーマを自分らしくポジティブに変えていこう!と気づくのはずっと先のお話です。

 

守護霊がその頃どんな気持ちで導いたかを聞くと「その時期があって今がある。」と言います。

 

苦しむのはわかっていたけど、それがずっと先において誰かを癒している私の性格ベースを作る。だから必要なプロセスであり、ある意味「損して得取れ」的なニュアンスでもあります。

 

その時期の根本的な葛藤とは「受け入れ」です。環境の変化だけでなく、変わる自分とも向き合いました。そういう意味ではよく頑張ったようです。珍しくそう言われるので、自分で言うのもなんですがホントに頑張ったんだと思います笑

 

確かにしんどかった記憶ばかりですが、今振り返ると大切な思い出もやっぱりあります。

 

少しずつできた友達、稚内から来た人に興味持ってくれたクラスメイトたち、密かに憧れた先輩…

 

みんなの顔を優しい気持ちで浮かべることができます。今になって心から温かく受け入れられるようになりました笑

 

もちろん当時は全然受け入れられず、必死に演じる生き方をしていた私です。学校外の環境も増え、空手と塾にも行くようになりましたが、全てにおいて息苦しさしかありませんでした。

 

そんな心が追いついていない状態でも、なんだかんだピアノを続けていましたが、、、

次回に続きます!

 

 

読んで頂きありがとうございます☺️

高橋勇輝

この記事を書いた人

高橋勇輝

自動書記アーティスト、サイキックカウンセラー、プロのチェロ奏者として活動しております。超能力や精神世界との新しい向き合い方を探求し、それらを現実に活かせる芸術的エッセンスとして表現することで、今を生きる人々が互いに個性を楽しみ合えるような「彩」の世界を創りたいです。

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