ヨーロッパのプロオケチェロ奏者になった道22
キリングフィールド
「北海道から来ました、大学2年の高橋勇輝です。今回カンボジアに来たのは、ボランティア経験を通して価値観や視野を広げたいと思ったからです。よろしくお願いします😌」
合流した他のボランティア参加者との自己紹介。こんな事にも緊張してしまう私でしたが、なんとか普通に最低限の自己紹介はできたはす…
そして早速、視察が始まります。
暑ーいカンボジアの街並みを眺めつつ、
移動の車内では参加者同士の交流が始まります。
「私は将来、国際協力や支援に関わる仕事がしたいと思っています。」
「理不尽な格差や貧困を世界から減らしたいです。その為に勉強し、できる事を探しています。」
「日本でもボランティア団体に属しており、、」
「ボランティアという行為の意味、役割、必要性のバランスなど、、、現場を見て知りたいです。」
そんな話で盛り上がっています。
あまりの志の高さに私は申し訳なくなり、黙って「うんうん☺️」していました。
「視野を広げたい、世界を見たいなぁ」くらいのふわふわな気持ちで来てしまった、自分の浅はかさを呪います。
ボランティアを選んでしまったのですから、志崇高な彼らと同じフィールドに並ぶこととなるのは当然。私はそこで学ぶしかありません。
ただ一つ思ったのは、
ここにいるみんな、
「世界を良くする。その為に自分の人生をどう使うのか?使えるのか?」
それを必死に考え、そして実際に行動を起こす事ができる人たちなんだな。という事です。
そうこう話している内に、キリングフィールドに到着。
キリングフィールドとは俗称ですが、カンボジアの歴史における大量虐殺の刑場、その跡地です。
カンボジア全土に数百カ所あります。
当時のポルポト政権下、文化人、宗教関係者、教育者、医師、技術者などの知識層が囚われ、命を落としました。
メガネをかけている。といった外見から頭良さそうに見えただけでも、殺害対象となりました。
1975年からの4年間、200万人以上のカンボジア人が亡くなりました。当時のカンボジア人口の1/3くらいです。
現在は慰霊塔が建てられており、見学する事ができます。内部にはおびただしい数の頭蓋骨が積み上げられています。
私はショックを受けました。
ご興味あれば調べてみてください。
とんでもない話ですよね。こんな話、カンボジアに来るまで知りませんでした。
そしてこの虐殺、今からたった40年前の出来事なんです。
ほんの最近まで内戦が当たり前だった国なんだと、カンボジアの現実を突きつけられました。
そうして、多くの地雷が今も残っています。
地雷があるのはみんなが知っています。
それでも被害が出続けているのはなぜなのか?
そんな疑問も浮かびつつ、
次は、病院や地雷博物館の見学。
病院への移動中、
あちこちで足のない人たちが道ばたに座っているのを見かけました。
彼らはみんな、裕福な日本人を見ると、お金を入れる缶をこちらに向けます。
私は咄嗟に戸惑いました。
どうしたらいいか?わからない、、、
次回に続きます!
読んで頂きありがとうございます☺️
サイキックでスピリチュアルで現実的なカウンセラー
自動書記ヒーリングアート画家
元ヨーロッパのプロオーケストラチェロ奏者
高橋勇輝
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