ヨーロッパのプロオケチェロ奏者になった道23
カンボジアの病院
キリングフィールドで悲惨な歴史と現実にショックを受けた私でしたが、
次なる目的地、病院への道中、
足や腕などの身体のパーツが欠損した人たちを見かけます。
彼らは施しを願いました。
じっとこちらの目を見つめ、お金を入れる缶を差し出します。
私は咄嗟のことに、戸惑いました。
今まで日本で普通に生きていて、そんなシチュエーションに出くわさなかったからです。
「(えっと…….どうしよう……汗) 」
彼らの多くはおそらく、地雷の被害者であると予想されます。
(私が現地で撮った写真です)
他の人たちは無視をしています。
「目を合わせる」という事をしません。
こうした事は海外ではよくある事なので、彼らは対応にも慣れているのかもしれません。
私も結局はお金を渡さず、
無視する事にしました。
目を、背けました。
しかし、それでいいのか?
思考は始まります。
お金を渡すのは簡単です。
物価もとても安い国だからです。
しかしキリが無い。
それだけ多くの人が道端で生活しています。
本当の支援のやり方は別にあるのも確か。
「その場しのぎでお金や食料を渡すのは安直である。本当に彼らの自立の為にはならない。」
そうした意見もよく聞きます。
確かにそうだとも言えます。
しかしその「その場しのぎ」で救われることもあると思います。
「困っている人を見ると、救いたくなる」
という心を、人間は持っています。
人として、当たり前ですよね。
その心を逆手にとって、貧困にあえぐ姿をわざと装い、外国人観光客からお金を騙し取る現地民もいます。
(カンボジア以降の旅でも、私はそうした人たちを世界中でたくさん見てきました。)
本当に難しい問題です。この時初めて、私はリアルな問題について真剣に考え始めました。
病院に到着しても、やはり身体のパーツが欠損している人が多くいました。
そしてさらに衝撃を受けたのは、
医療を受けるお金を持っていない人たちが、
病院の前で施しを待っていた事です。
大名行列のようになっています。
日本ではあり得ない光景です。
最近まで内戦があったカンボジアは、当然日本のようには発展していません。
裕福な層はどこまでも裕福ですが、
格差が大きいです。
そんな事はなんとなくの知識として知っていましたが、実際に目にして初めて、
「これは酷い」と感じました。
私はボランティアというものを本気で勉強してきたわけではありません。
正直、その現実を見るだけで精一杯でした。
「ボランティア行ってきます!」って軽く使っていた「ボランティア」という言葉。
世界の現状はそんな甘いもんじゃなかった。
自分なんかにできる事なんてない。
病院での光景を見て、
職員のリアルな話を聞き、
私は無力さを痛感しました。
こんな自分に何ができるのか?
日本に生まれ育った恵まれた自分が、
どうやって世界の役に立てばいいのか?
世界どころか、誰かの為になるなんて、そもそも自分にできるのだろうか?
何をしたらいいのだろうか?
これからどう生きればいいのだろうか?
大学2年生の甘ちゃんな子供である私に、とてつもなく大きな葛藤を植え付けるキッカケとなりました。
それらの問いに向き合い、葛藤し、苦しみ、
自分が納得する答えを見つけ出すのは、
まだまだ先の話です。
読んで頂きありがとうございます☺️
サイキックでスピリチュアルで現実的なカウンセラー
自動書記ヒーリングアート画家
元ヨーロッパのプロオーケストラチェロ奏者
高橋勇輝
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