ヨーロッパのプロオケチェロ奏者になった道25
日本人がカンボジアで1から作った村
皆さんご存知でしょうか?
カンボジアには「日本人が作った村」があります。
ボランティア活動3日目(滞在4日目)、
実際にその村を訪れ、その日本人の方のお話を伺います。
志高くない私は「日本人が作った村」と聞き多少興味は惹かれましたが、
「ふ〜ん。そうなんだー。」
正直、この程度の気持ちでした。
なんて書くと怒られるかもしれませんが、
多くの普通の日本人にとって、カンボジアに村を作った日本人がいるなんて、遠い別世界のお話ですよね。
他のボランティア参加者の方々はやる気に満ち溢れている感じもして、なんとなく疎外感を覚えつつ私も黙って流れに従います。
カンボジアに行くという謎の行動力はあるのに、なんというやる気のなさでしょう。当時の自分を振り返って驚きます。
村に到着すると、見たことある言語の看板がドーンと立ててありました。
海外で見かける日本語の文字。
心に覚える一抹の安心感。
ここは現在は「織物の村」と呼ばれる、
世界で最も品質が高いシルクの1つ、カンボジアのクメールシルクの伝統を繋ぐ村です。
蚕を育て、糸にして、織り、染色、、、
全て現地の人たちが手作業です。
そして見学後、実際に例の日本人の方にお会いしました。
この方の人生とこの村のストーリーを聞いた私は、その後の生き方を変えるキッカケを頂くこととなります。
その方とは、森本喜久男さんです。
彼が内戦によって疲れ果てたカンボジアを訪れた当時、クメールシルク文化は混乱の渦に消え去ろうとしていました。
京都で手書き友禅職人として成功していた彼ですが、ある時タイを訪れます。そこで出逢ったカンボジアの織物のあまりの美しさに衝撃を受けたそうです。
「筆一本さえあればどこでも仕事ができる」
そう気付いた彼は移住を決意しました。
まずはタイにある難民キャンプでボランティアとしての活動を始めます。
タイでの活動は10年にも及びましたが、その後ユネスコの依頼を受け、まだまだ情勢が混乱しているカンボジアへ進出します。
彼は早速カンボジアの織物職人たちを探すものの、内紛の混乱で消息不明でした。
ポルポトの兵に出くわし逃げるという命の危険を経験しながらも必死に探し回った彼は、やっとの思いで集落を見つけましたが、職人たちは既に元職人となり、生きていくのすらギリギリの生活を送っていました。
彼の心を動かしたクメールシルクは、同じく世界中の人の心を動かす可能性を持っています。
「そんな素晴らしい伝統を絶やすわけにはいかない。必ず復活させなくてはならない。」
そう誓った彼は、
「良い絹織物を作るには、良い土を作り、良い桑の木を育て、その桑を食べさせ、良い蚕を育てる必要がある」
クオリティへの信念から、私財で土地を購入し開墾、少しずつ「伝統の森」は村となっていきました。
安定して働ける環境、クオリティを維持する為の現地人同士で回せる教育システム、お母さんの為の子供スペースの設置、、、
数年前から福利厚生が整えられ、なんと学校までもが作られました。「織物の村」と呼ばれるようになった現在は、150人以上の人たちが暮らしています。
私が何も知らずに見た、村の人々たちの光景は、森本さんの何十年もの努力により実現した奇跡だったのです。
ここまで到達するのに、一体どれだけの困難を越えてこられたのか?
私は「プロの音楽家になる」という夢を持ち、日々全力で生きていましたが、そこに何か引っかかるものがありました。これはカンボジアに来てから、ずっと胸に潜む違和感です。
「好きな音楽を仕事にしたい。」
これは果たして人の役に立つことなのか?
単なる自分勝手じゃないのか?
そんな風に、私の夢と心は崩れました。
その日の夜、悩める私は全然眠れませんでしたが、ボランティアプランは続きます。
翌日以降の残るスケジュールは、日本語学校と孤児院、そして観光です。崩れた心は再生するか?
読んで頂きありがとうございます☺️
ps.
偉業を成し遂げている森本さんの目を実際に見て話し感じたのは、真摯で凛とした温かさでした。
私が訪ねたのは2014年でしたが、
実は2012年に彼はガンの診断を受け、余命宣告5年だったそうです。しかし彼は「治療の為に発展途中の村を離れる」という選択を取りませんでした。「ガンは病気ではなく老化。生きて死ぬことは自然なこと」との考えだったそうです。
そして2019年現在は、亡くなられています。
30年以上もタイやカンボジアで生きてこられた人生の大先輩である森本さんですが、5年前まだ何も知らない暢気な大学生の私を、どのような目で見ていたのか?
今感じると、胸に沁みるものがあります。
あれから私も海外に出て、働き、経験し、そして多くの人たちの心を見てきました。
あの頃の悩みは「誰かの為に、社会の為に、地球の為に生きたい。それは単なる我慢ではなく、自分の幸せや自由な学びの為でもある。」という現在の根本的な価値観に昇華されています。
森本さんが織物を通して「幸せ」を創っていたように、私も私にしかできない事を通して「幸せ」を創り続けたい。
人は誰かの役に立つことで、純粋な幸せを感じるものです。どんな人も根本的にそうです。
一人で夢を叶えた所で、人との繋がりを感じられなければ虚しくなります。
そんな大切な事を教えてもらいました。
今こうして書いているブログも、読んでくださる人たちの人生に何か役に立つと嬉しいです。
読んで頂きありがとうございます☺️
サイキックでスピリチュアルで現実的なカウンセラー
自動書記ヒーリングアート画家
元ヨーロッパのプロオーケストラチェロ奏者
高橋勇輝
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