ヨーロッパのプロオケチェロ奏者になった道29
人は皆持っている責める想念、そして愛情
カンボジア滞在、考えてみるとボランティアとしては大した事はしなかったけれど、考えさせられる事が多かった1週間でした。
キリングフィールド、地雷博物館、病院、伝統織物の村、学校、孤児院、、、
この地球のリアルを散々見せられ、
人が人を責めて恐れさせる、争いの心と向き合いました。
これは悪想念です。
カンボジア人でも、
日本人でも、
世界の誰しもが持っていて、
もちろん私も持っている事を知りました。
カンボジアの内戦のツメ跡は悲惨でしたが、現代の日本においても「人のせいにして人を責める心」は酷いものです。
人の心の中には恐ろしいヤマタノオロチが巧妙に隠れています。
我慢も、イライラも、責めたくなる心も、欲も、醜さも、逃避願望も、ズルさも、どれも心の中に存在しているものです。
気づき、正面から受け止め、考え続け、
乗りこなすしかありません。
自分を騙して安直な善を追う。
それは思考停止という逃げです。
あえてスピリチュアル的に言うなら、過去のカルマや因縁のせいにするのも逃げです。
過去は過去。今は今です。
今ある問題と原因を探り、
他人や環境のせいにせず、
自分の悪習慣を探り、矯正するだけです。
それでも他人や環境のせいにしたくなれば、危機回避能力を上げるしかありません。
今を生きているのが人間です。
今の連続が人生です。
多くの人が常にやっているように、
過去に囚われても、未来を追い続けても、
永遠に幸せにはなれません。
当たり前ですが、
過去も未来も今の為にあるんです。
「今ここに生きる!」と唱えれば簡単にできる甘いもんじゃありません。
今を生きるとはどういうことか?
本気で考え続けるしかありません。
そうしなければ、本当に美しいものを、本当に美しいな。と味わうことができません。
本当に自由でありたいのなら、人の彩や、自分の彩に気づき、磨くしかありません。
その為にどうすればいいか?
今、自分に何ができるのか?
今、自分は何をしたいのか?
今、自分は何から始めるべきなのか?
今、幸せである為に、
全身全霊であったほうが良い。
私はカンボジアにて己の無力さを痛感し、相当に揺れました。
頑張ってきた音楽が、今までの人生が、
全く人の役に立たない、愚かなワガママだったのではないか?
そう思わざるを得ませんでした。
自分の為だけの音楽をやっていたからです。つまり単純に好きだから。
人の為に!なんてちょっとも考えたことありませんでした。
ただ、そういう自分の中にある違和感に気付き向き合うキッカケになりました。
キリングフィールドや病院で世界のリアルな現状を見て、恵まれた自分を知り、そんな自分の浅はかな価値観を知り、
織物の村を作った森本さんの、私からするとあまりに崇高に感じたお話を聴き、
そして学校や孤児院でも無力を悟り、
だけどそんな事を吹き飛ばすように全力で遊び、
心は驚きっぱなしでした。
結果わかったのは単純に、
やっぱり自分も人の役に立ちたい。
という自分の中にいた欲です。志です。
学校でも心を開ける友達は少なかったし、練習の為に人間関係を絶ってきた私でしたが、それってやっぱり寂しいし虚しいことなんです。
そこまでして音楽を頑張ってきたんだから、人の役に立つ使い方をしたい。
どうやって音楽で人を癒すか?
具体的にはまだわからないけど、とりあえずはもっと上手になって、プロになって演奏会で弾きまくって、聴いてくれる人を癒そう。
それくらいの意志は固まりました。
カンボジアに来るまではそもそも本質的なことは何も考えていなかったので、大きな一歩でした。
読んで頂きありがとうございます☺️
高橋勇輝
久しぶりに文字の自動書記です。
サイキックでスピリチュアルで現実的なカウンセラー
自動書記ヒーリングアート画家
元ヨーロッパのプロオーケストラチェロ奏者
高橋勇輝
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