ヨーロッパのプロオケチェロ奏者になった道37
留学前に、まず日本を知ろう!
ドイツの音大の先生とのコンタクトも順調に進み、留学がほとんど決まったような状態になった私は、ドイツ語を本格的に勉強すると同時に、改めて「日本」という生まれ育った国を知ろうと思いました。
そうして大学やチェロ演奏のアルバイトやコンサートが無い時間に、一人旅に出る事がさらに増えました。
ところで私はその時期その時期にやりたい事リストを作り、定期的に更新しているのですが、
その1つにあるのが、
47都道府県の旅コンプリート!
です。
残りは、岩手、山形、福島、茨城、静岡、滋賀、鳥取、熊本、宮崎、の9県です。
大学生の頃から、かなり進みましたね。
そんなわけで今日は、
今までに私が旅した日本の各所から、特に印象的であった場所を紹介します。
京都
海外でも、日本といえば!京都です!
日本文化独特の歴史ある建造物がたくさん残されており、外国人観光客にとっては、定番のオススメ観光地です。
私は海外に出てから、日本の名所をたくさん外国人に聞かれましたが、東京Tokyoと京都Kyotoの違いをわかっていない人が多過ぎます笑
東京も良いですが、日本らしさを観光するにはやはり、私は京都をオススメしています。
幕末が好きな私にとって、京都には魅力的な歴史スポットがたくさんあります。
私は長州(山口)志士である久坂玄瑞のファンですが、彼の最期の地、禁門の変の激戦地が京都御所内に地味にあります。まぁ皆さん興味ないと思いますが笑
彼はかの有名な高杉晋作と共に、松下村塾の双璧と言われた傑物でした。メチャクチャ凄い人なのに、 高杉晋作よりも早くに若くして亡くなってしまったのであまり有名ではないのですが、かっこいいです。
高野山
和歌山の高野山です。弘法大師(空海)がひらいた天空の聖地です。
超パワースポットで、私は毎年夏に行きたくなります。豪快で親しみやすい感じの空海さんが印を教えてくれたり、親友の過去世高野山の僧だと発覚したり、色んな事がありました。
姫路
姫路城、あまりにも美しい建造物です。私は日本各地のあらゆる城を巡ってきましたが、やっぱり白亜の姫路城が1番です。ぜひ京都から足を伸ばすべきスポットです。
岡山の倉敷です。佐藤健さん主演の映画、実写版「るろうに剣心」の撮影地でもあります。
とっても風情があり、私はこの水辺に2時間くらい一人で座ってのんびりしていました。すると知らないおばあちゃんがアイスをくれました笑
富士山
ブルガリアでは富士山は全然知られていませんが、富士山周辺はUFOの目撃情報が多いです。
また、コノハナサクヤヒメが祀られている河口湖浅間神社は最高のパワースポットです。パワースポットの良いエネルギーが実際にどう感じられるか?その心地よさをゆーっくりのーんびり味わってみるのが、パワースポットの真の楽しみ方です。
ちなみに私の父方先祖は昔、コノハナサクヤヒメを信仰していたようです。その為、私にとってのコノハナサクヤヒメは心の距離が最も違い神さまです。
石川
石川県の白山比咩神社です。キクリヒメが祀られています。母なる地球の意識であるキクリヒメですが、私が参拝した時は「己の足で立て」と、ただそれだけを厳しく伝えられました。
今の私たちの集合無意識に対して「神仏や誰かにすがるのではなく、自分の意志を持ち、誰かの真似ではない自分自身の未来に向けて、きちんと現実的に地に足をつけて生きる」という事を強く突きつけているようです。
それにしてもこの写真、とてつもなく良いエネルギーです。
知る人ぞ知る、金沢の金城霊澤です。日本でも最高レベルのパワースポットだそうですが、この井戸は向こうの世界とのゲートです。私も凄まじい体験をしましたが、自動書記も降りました。解説は長くなるのでまた今度にします。
鹿児島の知覧特攻平和会館です。こちらも戦争関連。ここは凄いです。
特攻前夜の隊員の家族に宛てた手紙が大量に残っており、全部読むことがができます。当時、手紙にはチェックが入った為、書ける事は限られていました。当然泣き言なども書けません。
特攻隊員はみな、国に命を捧げる「立派な志」を手紙に書き、飛び立ちました。
その葛藤は、現代人は理解できないものだと大学生の私は痛烈に感じました。ここも多くの人に訪ねてほしい場所です。
一度、友人の過去世で特攻隊が見えた事があります。彼は尋常じゃない恐怖と不安と孤独に震えながらの長時間飛行の中、「どうせ行くなら立派に散る」と自分で自分に必死に言い聞かせ続けていました。しかし結局は敵地にたどり着けずに、海に沈んでしまいました。その悔しさたるや凄まじいものがありました。
事実として歴史はいつも悲惨なものです。人はいつまで人を傷つけ、人のせいにして、人を責めるのでしょうか。そんな時間があるのなら、自分を省みなくてはなりませんね。
まぁこんな感じで私は日本各地を旅しましたが、結局、戦争の歴史に興味を持ちました。日本人として、という気持ちが強まったのでしょう。
そんな中、大学3年の私は、外務省の戦後70年平和祈念プロジェクトの要請を受けました。
次回、日露平和交流事業に参加することになった私は、チェロと共に今度はサハリンに飛びます!
読んで頂きありがとうございます☺️
サイキックでスピリチュアルで現実的なカウンセラー
自動書記ヒーリングアート画家
元ヨーロッパのプロオーケストラチェロ奏者
高橋勇輝
前の記事へ
次の記事へ