食のエネルギーと命
食のエネルギーと命
私はある時期、野菜のみを食べていた事があります。1年半ほどお肉の味覚を断ちました。
味覚を断つ事で、味覚を深める事ができます。
例えば1週間お肉をやめてみた後、久しぶりに食べた時、今までは意識していなかった味、食感、香り、その奥行に気付くと思います。とても面白いですよ。
私の場合は1年間という長期間、お肉の味覚を断ったわけですが、結果わかった事があります。
それは、植物も動物と同じく生き物で、意識や感情がしっかりあるという事です。
植物の思いを感じ、その声を聴く。
そういう感覚がついてきたのです。
自然と共生していた昔は、おそらくこれは普通の感覚だったと思います。
調理や食事の度に、食べるという行為について相当に考えさせられました。
植物は食べられるとわかると覚悟をします。
「大事に食べてね」と清々しいです。
そのエネルギーを受け渡してくれます。
人として生きるとは?
肉体を持って生きるとは?
生き物を頂き、成り立つ行為
それが命を繋ぐということです。
それが自然と共にあるということです。
単に、
薄っぺらく食に感謝しなさい!とか、
命を頂く罪の意識に苛まれろ!とか、
当然そういう事ではありません。
人として生きる、食べる、命を頂く。
その事にただ向き合い続け、
受け入れる事で、
食に対する傲慢は自然と無くなります。
素直に命を受け入れられます。
それはやはり自然との共存です。
動物も植物も生きているという点で変わりません。
それらの命を頂いて初めて生きられるのが人間です。ここはそういう理の世界です。
確かに植物よりもお肉の方が、その受け渡しのエネルギーは重たい感じはあります。飼育環境にもよっても変わります。
しかしやっぱり、動物も植物も変わらず生き物で、意識があります。
目があるか否かの違いだけかもしれません。
大切なのは、原理主義的になり過ぎず、人間としてのあり方と、それに伴う食を素直に受け入れる事だと思います。
そうすれば自然な感謝も出てきますし、
必要以上に貪る事も無いでしょう。
私の場合は、よく噛み味わうようになったので、結果的に消化が楽になり、胃腸の調子が目に見えて改善しました。
食は生きる為に欠かせない要素ですので、一度はよく考えるべきテーマだと私は思います。
私たちが何気なく使う「いただきます」という言葉の意味は、
天地の恵みを頂きます。
です。
この意味の言葉は海外にはありません。
(一見似たような言葉のある言語もありますが、本質的に込められた意味は全然違います)
昔の魔女や巫女などとと呼ばれた人たち(今で言う霊能者)は、植物とも会話する事ができたそうです。そうして植物の薬効を知り、薬としても用いていました。
また、縄文時代においては全ての人が、霊的な感覚を自然の中で当たり前に用いていました。
自然と対話し、その上であらゆる動植物、あらゆる自然の摂理と共存していたのですね。
科学が発展する以前は、そうした自然との対話が命に関わる程に重要だったのでしょう。
食料の調達ももそうですが、天候のご機嫌、天災もあります。
日本人の霊性、真心ある繊細な感性は、特筆すべきものです。
事あるごとに、私は日本人である事を心の底から誇りに思うのです。
読んで頂きありがとうございます!
高橋勇輝
ps.
海外にいると尚更、日本の普通の白米や味噌汁を食べられるだけで、誇張なく幸せな気持ちになります。
料理する時も、美味しく頂けますように。と、良い感情で料理してあげると、楽しく美味しくなります。
↓縄文エネルギーの自動書記、自然との共存や、根源的な生命力の発露のようなエネルギーです。
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