易経「童観」子供の視点を持つ大人
易経「童観」子供の視点を持つ大人
中国古典(孔子の論語、易経、中庸など)から、現代日本における道徳のある生き方を研究しています。
今日は「心を磨くシリーズ」で、易経(えききょう)の教えを1つ紹介します!
タイトルは「童観」です。易(えき)に出てくる言葉で、物事の見方について教えています。
*易経とは、一説には5000年前に現れたとも言われる中国の古典です。優れた修身哲学の書であり、帝王学の書であり、占いの書でもあります。孔子の論語などに比べるとかなり難解で読みにくい本ですが、占いとして占いらしく活用する人は多くとも、生粋の哲学・学問として研究する人はまだまだ少ないです。人としていかにして立派に生きるか?心を磨く指南書として活用できます。
Youtubeで喋っています!
以下、文字バージョンです。
お時間のない方は記事にてご覧ください😌
易経「童観」子供の視点を持つ大人
こんにちは、いつもご覧頂いている皆様へ、心より感謝申し上げます😌
今日は「心を磨くシリーズ」で、易経(えききょう)の教えを1つ紹介します!
タイトルは「童観」です。易(えき)に出てくる言葉で、物事の見方について教えています。
「童観」とは
子供のような幼い見方を言います。
目の前で起きた出来事、そのまま見た通りに捉えることです。
例えるなら、イライラして怒っている人を見て「この人は怒っているんだな」「怒りん坊なんだな」とすぐに認識するような見方で、この人はなんで怒っているんだろう?という物事の奥にある事情に考えが及びません。
もしかしたら、ものすごく酷い仕打ちにあって正当に怒っているのかもしれないし、もしかしたら普段は温厚な人で怒りをあらわにするのは珍しい人なのかもしれません。
またSNSの本当かどうかわからない情報を信じるというのも童観です。
さらにはその情報を拡散することによって、誰かが傷つくことになる可能性はないか?そうしたことに気を配ることができないのも、目に見えないものを予測できないということで童観です。
つまり童観は、思いやるという心の無い状態とも言えるわけです。
大人の社会においても、あらゆるシーンにおいて童観はたくさんありますよね💦
子供であれば童観は許されますが、責任のある立場にある大人の方ほど、ものの見方には気をつけ、言葉と行動に自己責任を持つ必要があるように思います。
表現の自由において、他人を傷つけてしまっては残念ですよね。
目に見えない何かを察するのは難しいことですし、常に完璧にできることでもありませんが、
それでも、見えないものを見ようとする心を持つことは、優しい洞察力を鍛えてくれるはずです☺️
今日もありがとうございました。
僕が話した内容が、何かしらの形で、皆様のお役に少しでも立てたら嬉しいです。
ご縁に心より感謝申し上げます✨
自己紹介
泉優です。2017年から2020頭まで、ブルガリアのスタラザゴラ国立歌劇場オーケストラでチェロを弾いていました。今は日本に帰国し、オンラインカウンセラーとして、絵描きとして、チェロ奏者として、面白く生きています。この宇宙でただ一人自分にしかできないことを探究し、縁ある人々を少し幸せにすることが生きがいです。
カウンセラー
アート画家
チェロ奏者
泉優(いずみゆう)
恩師へ、精神世界の大切な基盤を、丁寧に丁寧に学ばせて頂き、いま心より、感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
タカテル氏「カウンセラー養成コース」
https://ameblo.jp/spiritual-b-boy/entry-12385401913.html
その他、秋山眞人氏の偉大な書籍群、安岡正篤氏「易と人生哲学(竹井出版)」や、Tバトラーボードン氏「世界のスピリチュアル50の名著」にて紹介されている書籍に始まり、今古東西の書籍から、スピリチュアルや哲学、心理学の知識を学び、学び続けております。精進いたします。
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