易の道徳「普通の有り難さを味わう」
易の道徳「普通の有り難さを味わう」
中国古典(孔子の論語、易経、中庸など)から、現代日本における道徳のある生き方を研究しています。
「心を磨くシリーズ」で、易(えき)の教えを1つ紹介しています。
今日のタイトルは「普通の有り難さを味わう」です。
*易とは、一説には5000年前に現れたとも言われる中国の古典です。修身哲学の書であり、占いの書でもあります。孔子の論語よりも古く、難解な本ですが、占いとして使う人は多くとも、生粋の哲学として研究する人は少ないです。人としていかにして立派に生きるか?心を磨く道徳的な指南書として活用できます。
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以下、文字バージョンです。
お時間のない方は記事にてご覧ください😌
易の道徳「普通の有り難さを味わう」
こんにちは、いつもご覧頂いている皆様へ、心より感謝申し上げます😌
「心を磨くシリーズ」で、易(えき)の教えを1つ紹介します。
「普通の有り難さを味わう」
何気ない普通の日常があることほど、有り難いことはない。といった話は、誰もがどこかで聞いたことがあると思います。
しかしながら、その有り難い日常を、普段から「有り難いなぁ」と思って味わっている人となると、少なくなるのではないでしょうか。
僕はブルガリアというノンビリした国に住んでいた経験もあるので思うのですが、日本人はやっぱり忙し過ぎる感じがします。
「仕事が忙しい」というのは仕方がない部分もありますが、休みの時まで常にゴチャゴチャ考え事があったりして「頭の中が忙しい」という状態の人も多いかなと思います。
現代日本の生活スタイルですと、そのようになるのも仕方がないとは思いますが、
「より幸せに心豊かに生きる」という視点で考えるならば、やはりリラックスする時間は意識したいものです。
何気ない普通の時間に安らぎを感じてみる、というのは難しいことではありません。
普通の有り難さを幸せな気持ちで味わうコツは、「普通じゃない時」を思い出すことです。
僕の場合は、
例えば、普段とても仕事が忙しいと、休日や忙し過ぎない日は、有り難いですね。
有り難いなと、そう思うだけで少しだけ幸せな気分になります。
また僕は持病が幾つかあり、病状も波があります。だいたい月の3分の1くらいは体調的に苦しかったりするので、体調が無難であるだけで最高に幸せだなと、毎朝思います。
普通とは、無難とも言えますね。
ちなみに毎年の花粉症も本当に酷い体質なので、鼻水と涙が出ないだけでその日は十分に幸せです。
さらに例を挙げると、周りに親しい人がいてくれることも有り難いと思います。
ブルガリアに1人移住して寂しくなったり、言葉が通じなかったり、移住当初は絶望的な孤独感を味わったのですが、そういう経験があるので尚更、
日本で普通に家族や友達が生きていてくれること、普通に日本語で会話ができること、これ以上に大切なものはないですね。
仕事とかお金とかも大切ですが、それ以上に大切な幸せの要素は既にある、と思うと生きるのがちょっと楽に感じたりします。
有り難さを味わうのは、胸の奥にある感謝の心を思い出す作業でもあります。
このように「有り難いなぁ」という気持ちを味わってみると、自然と心がリラックスします。
僕は隙あらば、こうやってリラックスする癖がついているので、自分で言うのもあれですが、本当に心豊かにゆったりと毎日を生きている自覚があります。
(もちろん物理的にどうしても忙しいときは余裕がなくなるときもありますが、ですがそういう日はお風呂にゆっくり入ったり、リラックスの時間を少しでも取り戻すようにします)
こういう日々の心のゆとりこそ、幸せを自分で作り出す1つの要素だど思います。
忙しい社会ですが、多くの方々が幸せなゆとりを少しでも多く味わえたら良いなと思います。
今日もありがとうございました。
僕が話した内容が、何かしらの形で、皆様のお役に少しでも立てたら嬉しいです。
ご縁に心より感謝申し上げます✨
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